2022年11月の文学フリマ東京にて 笠井瑠美子ちゃんの「製本と編集者」を制作したお話は 以前こちらのnewsにもあげたのですが、 私もそれに合わせて何か作れないかと制作したのが、この「Diary」です。 「製本と編集者」のデザイン期間と重なったこともあり、 「製本と編集者」のスピンオフみたいな内容になっております。笑 こちら、80ページの日記本なのですが 本づくりの慣例にならい、ひと折り16ページを5束作り、 それをホチキスで留めて表紙をつける、という方法で制作しました。 よって、面付けが非常に厄介でして... このようになっております。(12ページの左側が06ページ)という具合。 (さらに、裏面にも同じように印刷せねばならないので、不慣れだと必ず間違えます笑) (しかし、読み手の方にはあまり関係がないのですが!) 制作の最善の方法として学んだことは、 「面倒がらずに一度ダミーを制作する」これにつきます。 こうして、手製本で50部制作しました。 ナンバリング付きです。 なかなか時間はかかりましたが、大変に楽しい作業ではありました。 購入くださったみなさま、どうもありがとうございました! (右)こちらは、同時期に制作していた dee's magazine vol.07が特集「失敗」だったということを踏まえ
失敗っぽい表紙デザインになりました。 内容としては、なんでもない日常のことを書いた、なんでもないものなのですが... 保里さんが読んでくださった感想コメントをご紹介。 「2022年10月3日から11月11日まで40日間、 千葉さんのごく個人的な日記なのだけど、ある一時期を集中的に詳しく書くという行為。 こんなにも彩りが感じられるとは。 手のひらに乗る小さな本。 50冊だけ作られるナンバリング。 書き手自ら仕立てられた本とは、なんて愛おしいんでしょう。 私がこの10月、東京出張の際、千葉さんとご一緒した1日についても語られている。 ちょっとこそばゆいような。 千葉さんの目線になって振り返る。 これを読んでいると、自分も日記を書いてみたくなります。 誰かに見せるかも?って目標があったら、やれるのかもしれない。 千葉さんと同じ本を読んでいることもわかる。 よかったよね、、あの本、千葉さん。」 あの本というのは、(Diary がもはや手に入らないのでこちらで紹介) 井川 直子さんの「不肖の娘でも」なのでした。 保里さん、これ、よかったね。 またまた長くなるけれど...Diary冒頭もどうぞ...! ------------ 「こうして書いているうちに何かおもしろいことでも思いつくのではないか」と安易に考え、日記を書き始めたのは10月3日のことだった。できなければ日記本にして売っちゃおう、というのはほんの冗談のつもりだった。少なくとも書き始めた時は。 しかし、日々のわちゃわちゃに流され、時間は過ぎ、おもしろそうと思った企画は思いついたは思いついたけれど…それをやる時間はあるだろうか…。そうなれば大体は「それじゃあ」と、その企画を温めて、次の発表の機会までにじっくり進めることにするだろう。なんせはじめるのが遅すぎるのだ。 でも、せっかく文フリ(文学フリマ)という本を発表する機会があるのだ。もったいないではないか…。わたしは、やっぱり日記を本にすることにした。 笠井瑠美子ちゃんの『製本と編集者』のデザインを担当したのだが、それのデザイン制作のスピンオフみたいになるかもしれない、とも思った。というのは甚だ言い訳のようだが、実際読み返してみると、るみちゃんの話がたくさん出てくる。 しかも、1ヶ月そこそこしか経っていないのにほとんど忘れているではないか。 まずやってみるということの大切さ、というのはあって、とにかくやってみたいと思ったことはやらないと気が済まない性分である。 ディーズマガジンでまずはフリーで出す、ということをやってみたので、次は、作りたいものを自分で作って「販売する」というのをこの文フリでやってみようと思う。 先日、「なnD」という本を製作している小林さんにお誘いを受け、その本にコラムを書いた。「ムダだと思うことこそやっていこう」という内容だ。もちろん、ムダだと最初から思っているわけではないが、過去の「結果ムダだったかも」と思われるようなことこそがいくつも集まって、未来のわたしをつくっているのだと思う。もしくはすすんでやらないようなことこそがわたしのかけらになっていて、今の思考のきっかけになっていたりする。だから、遠回りの人生なのかもしれないけれど、それがわたしのやり方なのだ。 著名人や有名人などの日記ならば、おもしろいしためになることもあるだろう。しかし、一個人のわたしの日記なぞ、おもしろいところは全くない。 しかし、先にも述べた通り、これがわたしを形成している日々の要素で、こうしてわたしの毎日は成り立っている。 たまたま、この期間に夫の父が亡くなり、その日の日記も書くことになった。多分、たまたま日記を書くことにしていなければ書いていなかっただろう。読み返してみるとすでに忘れている細部があって、文字で残しておくことの大切さみたいなものも、ちょっとだけ感じている。人は忘れる。 でも、こういった短期間じゃないと日記なんて続かないし、結局やめちゃう。文フリで本を出すと決めなければ、ここまで書けなかったと思う。 ここにはわたしのはムダの破片が散りばめられている。本当に誰にでもある1日だ。「みなさんもぜひ書いてみては?」とは言わない。
0 Comments
Leave a Reply. |